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東京高等裁判所 昭和41年(行ケ)87号 判決 1970年6月25日

原告

富山化学工業株式会社

代理人弁理士

佐々井弥太郎

被告

特許庁長官

荒玉義人

指定代理人

萩原益雄

外二名

主文

特許庁が、昭和四一年四月二八日、同庁昭和四〇年審判第二三四号事件についてした審決を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一  (争いのない事実)<略>

(審決を取り消すべき事由の有無について)

二  本件審決は、引例A及びBと本願発明との対比における認定及び判断を誤り、したがつて、本願発明は引用明細書記載の技術から容易に推考することができるとした結論に至る判断を誤つた違法がある。

(一)  引例Aは、本件審決のいうように、ソルビン酸塩の水溶液の安定化に関する本願発明の解明手段の基礎的事実を教示するものとはいいがたい。すなわち、引用明細書及び本件弁論の全趣旨によると、引用明細書記載の発明は、固体ソルビン酸塩の製造方法として、ソルビン酸と水酸化ナトリウム等との反応を、pH約3.6〜6.6で、酸素の遮断下または不活性ガスもしくは抗酸化剤の存在下で行ない、保存安定性の高いソルビン酸ナトリウム塩を製造する方法であつて、その手段は、ソルビン酸の懸濁液中に、水酸化ナトリウム等を小量ずつ添加してソルビン酸塩をつくるものであるが、その際激しい中和反応を呈し、アルカリのため悪影響を生ずるので、これを緩和するため、酸素の遮断下または還元性物質、不活性ガスの使用ないし緩衝剤の使用等の条件下に、pH値を3.6〜6.6の範囲におさえることによりソルビン酸及びその塩の分解を防止し中和を円滑に進行させようとしたものであることを認めることができる。右認定の事実によると、引例Aは、反応系中に、ソルビン酸、遊離アルカリ及びそれらの結合したソルビン酸塩の三者が共存している状態にある場合のpH値を規定したものにほかならない、というべきである。これに対し、前掲本願発明の要旨及び本願発明の特許公報によると、本願発明の場合は、ソルビン酸塩の水溶液にソルビン酸を溶解させるのであるが(遊離アルカリは存在しない。)、ソルビン酸塩の水溶液のpH値は約八であり、ソルビン酸の水溶液のpH値は約三であるから、ソルビン酸塩の水溶液にソルビン酸を溶解させた場合、そのpH値は当然八〜四の範囲に保たれており、その水溶液は安定なものであることを認めることができる。したがつて、引例AにおけるpH値の規定と本願発明における値の規定とは、その意義を異にするものであつて、引例Aがソルビン酸塩の水溶液の安定化に関する本願発明解明のための基礎的事実を教示するものということはできないと認めるのが相当である。この点について、被告が本訴で主張するところは、審決の右説示と異なるものであり、これを正当とすべきものではない。

(二)  次に、引例Bの部分から、直ちに、ソルビン酸がソルビン酸塩の水溶液に溶解する事実が示されているとはいえないものである。すなわち、成立に争いのない甲第七号証の三によると、引例Bの記載部分は、原告主張のように、引用明細書記載の発明において、ソルビン酸の懸濁液中に水酸化ナトリウム等を添加してソルビン酸塩をつくる際に、pH値を必要な3.6〜6.6の範囲に保持するために、硼酸塩、燐酸塩等の緩衝剤または第一燐酸ナトリウム、酸性亜硫酸ナトリウムのような酸性塩等を添加剤として使用するのであるが、最終的にはこれら異物質をソルビン酸ナトリウム塩から除くための精製を必要とし、この精製工程を省くためには、右添加剤の代りに、ソルビン酸ナトリウム塩に対し一〜三〇パーセント、就中一〜一五パーセント過剰なソルビン酸を使用することが合目的的であるとしているにすぎないものであることを認めることができる。もつとも、引例Bに続く記載部分を検討すると、その後の工程として、反応生成液から不溶のソルビン酸を濾過したのち、溶液を濃縮蒸発させてソルビン酸ナトリウム塩の結晶を得たところ、これは一〜八パーセントのソルビン酸を含有したものであつた旨の記載のあることが認められ、被告も本訴において、補足説明として、右記載部分を援用し、得られたソルビン酸ナトリウム塩が一〜八パーセントのソルビン酸を含有していたことは、濃縮蒸発前のソルビン酸ナトリウム塩の水溶液にソルビン酸が溶解していた事実を示すものである旨主張している。しかし、右認定の、濃縮蒸発ののちに得られたソルビン酸ナトリウム塩が一〜八パーセントのソルビン酸を含有していたことが、ソルビン酸はソルビン酸塩の水溶液に溶解する事実を示すものであり、本願発明に至る着想を示唆するものであるとするならば、本件審決は、引例Bに止まらず、これに続くその後の記載部分をも挙示して、然るべき所以を明確かつ統一的に説示すべきであるにかかわらず、単に引例Bのみを挙げて、これから前示結論を導いたことは、理由の説示において前提と結論との間にくいちがいがあり、結局判断を誤つたことになるといわざるをえない。成立に争いのない甲第一九号証によると、本件審決は、引用明細書全体を引用する趣旨であつたことを窺い知ることはできるけれども、理由の説示において右の誤りをおかしている以上、前記結論を動かすわけにはいかないものである。のみならず、前掲甲第七号証の三によれば、引用明細書記載のソルビン酸の過剰使用はあくまでも一定の条件下におけるソルビン酸塩の生成の場合におけるものであるから、これをもつて、かかる条件の存在を全く前提としていない本願のソルビン酸塩水溶液にソルビン酸が溶解する事実を示すものとすることの当否は、格別の立証のない本件において、甚だしく疑問であるとしなければならない。

(三)  以上のとおり、本件審決は、引例A及びBと本願発明との対比において認定及び判断を誤つたものであり、したがつて、さらに本願発明の作用効果の点の判断に立ち入るまでもなく、結局、本願発明をもつて引用明細書記載の技術から容易に推考できるものとした結論に至る判断を誤つた違法があるとせざるをえない。

(むすび)

三 以上のとおりであるから、その主張の点に違法があることを理由に、本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、結局、理由があるものとすべきである。よつて、原告の本訴請求を認容する………。(服部高顕 石沢健 滝川叡一)

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